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【紹介】拙著『論集 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房、2018年8月刊)・講演のご案内

拙著『論集 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』
(桂書房、2018年8月25日刊。定価2000円+税(2160円)。A5判。188頁)
が無事刊行の運びとなりました。

購入は最寄りの書店か、
こちら(桂書房さんのこの論集のページ注文フォーム)から宜しくお願いします。
目次は以下の通りです。

<目次>
・はしがき
・初出一覧/凡例/宇喜多氏等略系図
・序章 没落後の宇喜多秀家
・第1章 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類
・第2章 八丈島支援の諸相
・第3章 宇喜多一類の赦免とその東京移住
・終章 総括


『論集 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』

序章では、備前岡山の大名宇喜多秀家(1572~1655)が関ヶ原合戦で敗れたその時から、配流地八丈島での最期までを、確かな史料(新出史料も含みます)をもとに整理・検討します。
秀家の二人の息子や、加賀金沢へ移った秀家夫人(樹正院・豪姫)など、秀家周辺の人物の動向などにも言及します。

第1章では、前田綱紀(1643~1724)期における加賀藩から八丈島への送品事例(17例)を洗い出し、支援の慣例化への流れを実証的に検討します。

第2章では、第1章の検討を踏まえて、18世紀の複数事例をもとに、慣例化された加賀藩の支援の実態をより深く掘り下げます。

第3章では、加賀藩による八丈島支援の終局と、明治新政府から赦免され、八丈島から東京に移住した宇喜多一類の動向を考えます。

終章では、以上の検討にどのような歴史的意義があるのかを整理し、あわせて加賀藩前田家と宇喜多一類とが、なぜ近世を通じて関係を維持し続けたのかについて、私見をまとめます。加賀藩の送品は明治維新まで75例(166ページの表を参照。今後さらに史料が出てくれば、もっと増えるかも。今のところ大西調べで75例です)を数えます。

没落後の宇喜多氏に関して、関ヶ原敗戦後から明治維新までを通覧できる点で、類書がないユニークな論集だと思います。また、宇喜多氏に関する新出史料も数多く紹介しております。

加賀藩前田家から八丈島への仕送りは、ともすれば「美談」の一言で片付けられがちで、さらに伝承ベースで(しかも不確かな史料をもとに)あやふやに語られる傾向があります。
秀家がアシタバの根を食べて命をつないだとか、前田利常が10万石をもって秀家を大名復帰させようとしたとか、そうした荒唐無稽な伝説が、まことしやかに、あたかも史実かのごとく、そして無責任に語られている現状が、少しずつでも改善されていけば、と思います。
本書の刊行が、宇喜多氏研究の現状に一石を投ずるものであれば、幸いです。


***********

<お知らせ>
9月8日(土)14:00から、瀬戸内市中央公民館で宇喜多秀家に関する講演会を行います。
チラシなり、告知が瀬戸内市中央公民館さんからそろそろ出るのでは、と思います(出ないかも…告知出なかったらすみません)。
私が聞いているところでは、一般の方も聴講できるようです。
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【紹介】「前田利長論」(『研究紀要 金沢城研究』第16号、2018年3月)ほか

◆拙稿「前田利長論」(『研究紀要 金沢城研究』第16号、2018年3月)
<目次>
 ・はじめに
 ・第一節 豊臣大名前田氏の権力構造
 ・第二節 前田利長の権中納言叙任と「大老」昇格
 ・第三節 徳川家康との関係悪化
 ・第四節 「加賀征伐」説話成立の背景
 ・おわりに
 ・(附録)前田利長発給文書目録稿(補遺分・変更分)

※頒布・購入は、石川県庁1F/行政情報サービスセンターにお問い合わせ下さい。 
『研究紀要 金沢城研究』第16号の販価は370円です。

※第一節では、前田利長の大名取立以後を対象に、豊臣大名前田氏の権力・家臣団構造について検討。
 第二節では、慶長3~4年(1598~99)、前田利長の豊臣政権における立場がどのように変化したか、また、利長の権中納言叙任時期と豊臣「大老」(いわゆる五大老)への昇格時期やその位置づけを抜本的に再考する。
 第三節・第四節では、一般的にも著名な「大老」徳川家康による「加賀征伐」伝承を根本から考え直し、その伝承が近世の創作(=虚構)であることを同時代史料から立証する。
「おわりに」では、前田家伝来史料の一部に、政治的作為が加わっている可能性を個別具体的に指摘する。
※なお、「加賀征伐」虚構説拙稿「織豊期前田氏権力の形成と展開」(拙編著『前田利家・利長』戎光祥出版、2016年)、利長の権中納言叙任時期の通説否定は拙稿「秀吉死去前後の前田利長と宇喜多秀家」(『戦国史研究』74、2017年9月)等ですでに指摘済である(今回の検討ではそうした過去の検討をさらに詳細に掘り下げる)。
※前田利長発給文書目録稿(補遺分)は139通の前田利長発給文書のリストを掲載。

◆拙稿「金沢・尾山考」(『研究紀要 金沢城研究』第16号、2018年3月)
※天正年間(1573~92)における金沢・尾山という二つの地名に関する通説を批判し、二つの地名の関係性について私見を述べる。

◆拙稿「前田家編輯方収集にかかる宇喜多氏関係史料について」(『岡山地方史研究』第143号、2017年12月)
※前田家編輯方が明治期に採集した各種史料から、新出の宇喜多秀家書状(2通)や、宇喜多氏関係史料を翻刻・紹介。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【新刊】拙著『宇喜多秀家』(シリーズ実像に迫る13/戎光祥出版刊)刊行と新出史料の紹介について

諸般の事情でお待たせしましたが、
拙著『宇喜多秀家』(シリーズ実像に迫る13/戎光祥出版刊)
が刊行の運びとなりました。

出版社(戎光祥出版)さんのページはコチラ  ※コチラからも購入できます。

一足早く↓↓↓見本が届きました。
実像に迫る13「宇喜多秀家」

このテーマで刊行を決断された出版社さんのご厚意や
貴重な史料写真をご提供いただい多くの史料所蔵機関、
執筆過程でお世話になった皆さんに深く感謝です。


原稿提出は今年の2月でしたが、編集者さんの助言もあり、
校正のたびに少しずつ書き足した結果、このシリーズの書籍では恐らく一番情報量の多いものになったのではないかと思っています
先行研究や典拠史料もなるだけ注記して、研究者の方にも便利な書物になるよう気を配りましたが、いかがなものでしょう?

戎光祥出版さん刊「シリーズ実像に迫る」のページ数は……96頁(№1~6)→104頁(№7~11)→112頁(№12~)と増えています。価格は同じです。

また、書名は「宇喜多秀家」ですが、16世紀初めから明治維新までの宇喜多一族の動向を追いかけることになりました。基本的に過去にまとめた論文集(『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』岩田書院刊、2010年ほか)をわかりやすく再構成したのですが、八丈島関連の部分などには、多くの新出史料(同時代史料)からわかった最新の研究成果を盛り込んでいます。

本当はこうした新出史料の翻刻も載せたかったのですが、紙数の都合もあって割愛したり、写真を載せたりにとどめています。
たとえば、……2点だけ、補足説明しておきます。

1.93頁掲載の25日付芳春院(前田利家正室)消息(大西は慶長14年10月頃と推定。金沢市立玉川図書館加越能文庫所蔵)
芳春院と八丈島との音信があったこと、そして秀家の嫡男孫九郎秀隆が精神に異常をきたして大変だ…ということが記されています。
史料の写真と翻刻は(93頁にも書いてありますが)拙著『論文集 宇喜多秀家の周辺』(同刊行会、2015年刊。「増補版」宇喜多家史談会、2016年刊)や、『宇喜多家史談会会報』58号(2016年4月刊)の拙稿「八丈島の宇喜多孫九郎」に「新出史料」として載せてあります。

『宇喜多家史談会会報』58号(2016年4月刊)

 ※そのほか、拙編著『前田利家・利長』(戎光祥出版、2016年8月刊)の57頁↓↓↓↓にもこの新出史料については触れておきましたのでご参照ください。

拙編著『前田利家・利長』(戎光祥出版、2016年8月刊)

2.99頁掲載の「中納言様御在国中御進物帳」(金沢市立玉川図書館加越能文庫所蔵)
明暦2 年(1656)7 月22 日条などの写真を掲載しています。
99頁では、「大西④で紹介した新出史料。本史料の発見によって、この年の浮田小平次(秀家の子)への送品、および秀家の死没時期が確定した」と解説していますが、「具体的にどういうこと?」と思われた方は、詳しい解説と翻刻を、1.と同じく拙著『論文集 宇喜多秀家の周辺』や、拙稿「没落後の宇喜多氏について」(『岡山地方史研究』140号、2016年刊)に載せてますので、ご参照くださればありがたいです。

『岡山地方史研究』140(2016年12月刊)

それから巻末の年表は、拙著『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』(岩田書院、2012年刊)掲載のものの増補改訂版です。紙幅の許す限り情報を詰めてます。
他の書籍では見たことがない情報(秀家の側近中村次郎兵衛家正や、秀家の養女寿星院〔伏見宮貞清親王室〕の命日など……)がいろいろあるはず。
※寿星院〔伏見宮貞清親王室〕の秀家養女説や没年は、拙稿「樹正院の「御養子」寿星院について」(『宇喜多家史談会会報』61号、2017年1月刊)などをご参照ください。

書店に並ぶのは来週以降のようですが、お目に留まりましたら手に取っていただけるとありがたいです。

***

さて、こちらの書籍にも寄稿しております。

五野井隆史氏監修『キリシタン大名 布教・政策・信仰の実相』(宮帯出版社、2017年9月刊)

一般読者・専門家を問わず、いろいろ勉強になる便利な一冊になっているのではないかと思います。
個人的にはイエズス会士による年報作成に至る経緯やそれまでの若干の混乱?について(五野井氏執筆部分)を興味深く拝読しました。

さて、私は(例によって?)「明石掃部」のページを執筆しております。
拙著『宇喜多秀家と明石掃部』(岩田書院、2015年刊)のうち明石掃部に関する部分をコンパクトにまとめたものです。
最後に2点、掃部に関する新しいこと(俗説の否定)を述べてますので注目していただければと思います。
(とはいえ、原稿は2015年のお正月に出版社さんに送ったものです。2点のうち1点は上記の新刊『宇喜多秀家』でも言及しています)

【2016年】今年一年を振り返って/今年書いたもの

多忙にかまけて更新が疎かになっております。

この一年程のうちに頂いた御本のなかから、個人的にとくに印象深かったものをご紹介したいと思います。文庫・新書は除き、なかなか手に入りづらい?ものが中心です。

・萩原大輔『武者の覚え 戦国越中の覇者・佐々成政』(北日本新聞社、2016年7月)
・神田宏大・大石一久・小林義孝・摂河泉地域文化研究所編『戦国河内キリシタンの世界』(批評社、2016年8月)
・小川雄『徳川権力と海上軍事』(岩田書院、2016年9月)
・中山一麿編『神と仏に祈る山 美作の古刹 木山寺社史料のひらく世界』(法蔵館、2016年11月)


萩原さんの『武者の覚え』は新聞連載をもとにしたもので、手堅い内容ながら非常に読みやすい人物評伝。『戦国河内キリシタンの世界』は、版元のサイトに詳しい紹介がありますのでご参照くださればと思いますが、執筆者の方々それぞれの思いが文章から滲んでくる、そういった御本のようにお見受けしました。『徳川権力と海上軍事』は小川さんの史料博捜ぶりが十二分に堪能できる研究論文集、最後の『神と仏に祈る山』は、豊富な図版や史料紹介に研究論考も加わる贅沢な一冊です。

***

さて、今年一年で書いたもの、やったことなどのまとめ、覚書です。
以下の通り、昨年同様、宇喜多氏中心ですが、前田氏研究にも手を拡げています。
また、前田利長の発給文書の収拾作業は継続中で、どこかで機会があれば、下記の1400通程度に、さらに100通程度?を加えて文書目録補遺…といったものをまとめたいと思っておりますが、なかなか時間が許しません。もちろん、それでも全部ではありません。利長発給文書の8割程度かと思います。
それから。宇喜多氏関係でいえば、森脇崇文さんの論考「文禄四年豪姫「狐憑き」騒動の復元と考察(『岡山地方史研究』138号、2016年4月)が興味深く、また、いつもながらの精緻なお仕事ぶりが際立っていたように思います。

著書・編著書
・『前田利家・利長』(シリーズ・織豊大名の研究 第3巻)(戎光祥出版、2016年8月刊行)
 ※編著書。「総論 織豊期前田氏権力の形成と展開」および附録「前田利長発給文書目録稿」を担当。
・『論文集 宇喜多秀家の周辺』増補版(宇喜多家史談会、2016年12月刊行)
 ※昨年=2015年12月発行の同名著書(以下元版)の増補版です。単著。
 ※収録論考
  ・「樹正院の後半生」(元版から一部史料等を増補)
  ・「宇喜多孫九郎秀隆の基礎的考察」(元版から一部史料等を増補)
  ・「中村家正関係史料目録稿」(元版から一部史料等を増補)
  ・「『乙夜之書物』にみる宇喜多騒動」(新稿)
  ・「明石掃部の娘」(『宇喜多家史談会会報』59号(2016年7月)の同名拙稿に一部加筆)
  ・「明暦二年の浮田小平次」(元版から一部史料等を増補)
  ・「加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類」(拙稿「加賀藩前田家による八丈島見継について―享保七年の事例―」『宇喜多家史談会会報』60号(2016年10月)および拙報告「十七世紀前半における加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類」(加賀藩研究ネットワーク第22回研究例会、2016年3月27日)の内容等に大幅加筆)

<論文その他>
・「直家登場以前の宇喜多氏」(『戦国史研究』71号、2016年2月)
・「八丈島の宇喜多孫九郎」(『宇喜多家史談会会報』58号、2016年4月)
・「明石掃部の娘」(『宇喜多家史談会会報』59号、2016年7月)
・「加賀藩前田家による八丈島見継について―享保七年の事例―」(『宇喜多家史談会会報』60号、2016年10月)
・「没落後の宇喜多氏」(『岡山地方史研究』140号、2016年12月)

 ※以上の五篇いずれも史料紹介が中心。

<講演その他>
・「樹正院豪姫と宇喜多秀家」(「前田土佐守家資料館連続講座」2016年2月7日。於金沢市)
・「十七世紀前半における加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類」(加賀藩研究ネットワーク第22回研究例会、2016年3月27日。於金沢市)

 ※その他、「宇喜多秀家☆フェス」(2016年10月9日。於岡山城天守閣前)、山陽新聞朝刊さん太タイムズ(2016年12月11日発行分)など。

【新刊】拙編著『前田利家・利長』等について

また随分更新が滞りました。今回もかいつまんで……。

このたび、

拙編著『前田利家・利長』(シリーズ・織豊大名の研究 第3巻)戎光祥出版、2016年8月

を上梓いたしました。
執筆者の皆様をはじめご協力いただいたすべての方に、厚く御礼申し上げます。
詳しくはコチラ(戎光祥出版さんのHP)をご覧いただければと存じます。
収録論考9編はどれも基礎的かつ堅実なものばかり……、先行研究の重厚さを痛感します。
また、前田利家・利長・利政(利長弟)の三者の発給文書リストが
この一冊の中に揃いましたので、いろいろと便利な本になっていようかと思います。

ここでは、かいつまんで筆者の担当「総論 織豊期前田氏権力の形成と展開」について若干の紹介。

この論考では大名権力前田氏(利家~利長代)についての研究史整理と概説を試みましたが、
前田氏権力にとって一つの画期となった慶長4年(1599)9月以降の利長の動向には、
とくに注意を払って(紙数を費やして)新知見を示したつもりです。

端的に言えば、上方の徳川家康を中心とする豊臣公儀に対して、
表面上は忠誠・異心なき姿勢を繰り返し示した一方で、
裏面=領国内においては軍備の増強に余念なく、領国の防衛(それもかなりの程度)を
急ピッチで固めていたことを、新出の同時代史料を軸に指摘しました。

また、利長発給文書の収集をもとにその花押の分類・整理も行ったわけですが、
結論だけかいつまめば、この慶長4年という年に、利長は一旦は改めた花押を、
また元に戻してしまうことが明らかになりました。
その背景には、恐らくは上記の徳川家康との関係と考慮すべきという点も
本文中に指摘した通りですが、ただし、通説のごとき慶長4年冬の「加賀征伐」「加賀の陣」
(家康の主導による前田利長の征伐)計画といったものには、
その存在自体に疑問を呈しました(否定しました)。
論拠等、詳しくは拙稿をご確認いただければと思います。

そのほか、宇喜多氏についても何点か、前田氏と比較したり絡めたりで言及しています。
八丈島における宇喜多孫九郎(秀隆。秀家嫡男)の異常や、
大坂の陣後、加賀国の芳春院(前田利家後室)に保護された明石掃部の娘※のことなど……。
拙稿「明石掃部の娘」(『宇喜多家史談会会報』第59号、2016年7月)もあわせてご参照ください。

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Author:zeigen
戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論集加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房)、『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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