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【補足】拙稿「直家登場以前の宇喜多氏」

標記の通り拙稿「直家登場以前の宇喜多氏」(『戦国史研究』71号、2016年2月)が刊行されました。
原稿執筆や掲載等々お世話になった皆様に深く感謝申し上げます。

校正の時に直したはずの箇所が直っていない…ということがありまして、
23頁下段7行目の「」の字は不要です。
手元にコピーをとってあったゲラを見ても直してるので、朱の入れ方が悪かったか…
すいませんが以上訂正です。

今後どなたかの議論にとって、有益な土台たりえればと思います。

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【講座】「樹正院豪姫と宇喜多秀家」

講座、無事終了いたしました(「前田土佐守家資料館連続講座」)。
ご来場いただいた皆様、前田土佐守資料館の皆様ありがとうございました。

宇喜多の話に時間をさき過ぎまして、後半駆け足になってしまいました。
金沢で宇喜多(!)の話ができる機会はなかなかないですから。

ただ、肝心な後半が色々と言葉足らずになってしまったので、ポイント(私説)をいくつか。

・樹正院(豪姫)の金沢移住は慶長14~15年頃であること(大西推定)
 (慶長6年説や慶長11年以降説等があるが、従来定説なし。それ以前は高台院の庇護下にあった)

・樹正院(豪姫)の金沢での屋敷地のうち、ほぼ確実なのは高岡町であること
 (通説の西丁(金沢市)はかなり疑わしい)

・樹正院(豪姫)の娘(伏見宮貞清親王室、おなぐの方)の没年は元和2年(1616)。
 (なので、一部で唱えられている善福寺の「おふり」との同一人物説は成り立たない)

・前田家関係者から八丈島への仕送りは、秀家流罪当初から行われていたこと
 (沢橋平太夫の嘆願がきっかけという通説は根本的に再検討が必要ということ)

・八丈島の宇喜多孫九郎(秀隆、秀家次男)が一時期、精神に異常を来していたこと
 (および、孫九郎には早世したらしき兄(天正17年生。名前等不詳)がいたこと)

※以上の私見は拙稿「豪姫のことども」「樹正院の後半生」などでいずれも活字化済。

その他、言い忘れや話足りないことはたくさんありますが、
また機会があれば…というところです。ないかもしれません。

地元岡山から声がかかるのも待ってます。

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【受贈御礼】講演(樹正院豪姫と宇喜多秀家)のお知らせなど

1月もそろそろ折り返しです。

先日、森脇崇文さんから
特別展 中国国分/四国国分』(徳島市立徳島城博物館、2015年10月)をご恵贈いただきました。徳島城博物館での展示図録です。ありがとうございました。

展示の内容紹介・解説はもちろんですが、
森脇さんによる蜂須賀正勝受発給文書目録ほかの論考も労作です。
遠方のため展示自体には足を運んで実見ができませんでしたが、
図録を拝見して、見ておけばよかったと後悔しきりです。

また、森脇さんからは拙著『論文集 宇喜多秀家の周辺』(同刊行会、2015年12月)へのご意見・ご批判も頂戴いたしました。また機会を得て、秀家や樹正院豪姫・宇喜多秀隆(秀家嫡男)等々への理解を深めていければと思います。

…と、そうした自分にとっても良い機会になるであろう講演の御案内です。

「前田土佐守家資料館連続講座」の第1回(2月7日(日))に出講します。
演題は「樹正院豪姫と宇喜多秀家」です。申し込等くわしくはコチラ
※なお、前田土佐守家(加賀藩前田家の家老)の家祖利政は、樹正院豪姫の同母弟です。

前田家との関係を踏まえて、宇喜多秀家・豪姫について、
上記の拙著で紹介した新出史料等をもとにお話ししたいと思います。
いろいろ新しい事実も出てきているので、私自身大変楽しみにしているところです。

申し込みは1月26日から、ということです。

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【新刊】拙著『宇喜多秀家と明石掃部』

大坂の陣(明石掃部が深く関わった)から丁度400年、
宇喜多秀家の没後360年の今年、以下の論文集を上梓いたしました。


大型書店の店頭に並ぶのは連休明け以降になるかと思いますが、
岩田書院さんのHPからは直接購入可能のようです。

再録論考には必要に応じて加筆・修正を入れています。
ご興味の向きは是非、ご購入をご検討ください。

***

大西泰正著『宇喜多秀家と明石掃部』
岩田書院、2015年5月発刊・A5判・140頁・並製本・カバー装

<目次>

 Ⅰ 宇喜多秀家とその周辺
  ・豊臣期宇喜多氏権力論
  ・文禄期「唐入り」における宇喜多秀家の立場について
    ―豊臣秀勝との関係から―
  ・宇喜多秀家の処分をめぐって
  ・小瀬中務と小瀬甫庵
  ・宇喜多氏研究の困難とその可能性
  ・宇喜多氏の石高をめぐって

 Ⅱ 明石掃部の研究
  ・第一章 明石掃部の基礎的考察
  ・第二章 関ヶ原合戦以後の明石掃部
  ・後記 明石掃部の人物


※なお、Ⅱの各論および「宇喜多氏研究の困難とその可能性」・「宇喜多氏の石高をめぐって」は、 拙著『明石掃部の研究』(2012年)収録の各論を補訂したものです。

【表紙】宇喜多秀家と明石掃部

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【受贈御礼】「祇園社領荘園の再編」・拙稿「宇喜多秀家の処分をめぐって」

大阪桜橋

吉永隆記さんから
「祇園社領荘園の再編―顕詮と丹波国波々伯部保―」
(『立命館文学』637、2014年3月)をご恵贈いただきました。

南北朝期以後、一円的な祇園社領として同社の重要な経済基盤
であった丹波国波々伯部保(現兵庫県篠山市)についての検討です。
以上、記して御礼に代えさせていただきます。ありがとうございました。

***

この間、書いたもの。

拙稿「宇喜多秀家の処分をめぐって」
(『晴歩雨読―和田萃先生古稀記念文集―』藤陵史学会、2014年5月)

関ヶ原敗北後~駿河配流までの宇喜多秀家の動向を追い、
その処分(助命)の背景を考えています。
拙文が 「論文」として活字になったのは久々です。

「晴歩雨読」より

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)など。

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