「内府様むこニ」の話

ひっそりと書いておきます。

(慶長5年)8月18日付の戸川達安書状案(『岡山県古文書集』3)には、
「侍従殿」(宇喜多秀家の嫡男秀高)を「内府様むこ(婿)ニ」という記述が出てきます。

関ヶ原合戦の直前のことですが、この文書の内容と戸川家に残った伝承の類を参酌すると、
戸川達安(秀家旧臣)は、家康の内意をうけて秀家を味方(東軍)に引き入れようと
工作していたようです。
※ちなみに達安書簡は明石掃部頭に宛てたものです。

この件について(同時代史料から)類例を探していると、
どうも小西行長の嫡男に対しても(たぶん)同じ方法
(=秀忠娘をもって行長嫡男を婿とする)で、家康が運動していたようです。

他に似た例がないかどうか、現時いろいろ点検しているのですが、
(もっとも、私が知らないだけかも知れません…)
「内府様むこニ」というのは、
あるいは、この時期の(西軍方大名を切り崩す)常套手段だったのかもわかりません。

※このあたりのことは拙稿「関ヶ原合戦前夜―宇喜多秀家をめぐる覚書―」
 (『宇喜多家史談会会報』18、2006年)にも書いたのですが、ちゃんと(改めて)整理しておく
 必要も近時感じています。

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)など。

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