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拙稿「宇喜多秀家と豊臣政権」

いつもご覧頂いてありがとうございます。
なんとも怱忙で、少しご無沙汰をしてしまいましたが、元気でおります。
ただ、本職のために筆硯生塵という具合でもあります。
近刊となります拙著のお知らせもしたいのですが、それは次回にゆっくり…としまして、
今回は標題の件です。

拙稿「宇喜多秀家と豊臣政権」(『年報赤松氏研究』第3号、2010年)

がおおやけになっております。
掲載誌・購入方法等については、渡邊大門氏のブログをご覧ください。
なお、『年報赤松氏研究』は、氏が編集されております。

さて、拙稿ですが、少し補足?しておきますと、
さいきんいつも宣伝ばかりしていますが、
『史敏』※第六号に掲載いただいた拙稿「宇喜多秀家論」の姉妹編(のひとつ)になります。

 ※大阪大学大学院日本史研究室にゆかりのある有志の方々が編集・刊行されています。
  詳しくはこちらをご覧ください。

秀家と豊臣政権とのかかわり、というか豊臣政権のなかでの秀家の位置づけについて、
上記秀家論を補足・敷衍しております。いわゆる「五大老」としての秀家のことです。

ただ、時間に余裕がなかったことや、自身の能力不足で
ちゃんと「論文」の体を成しているかどうか…非常に不安なところであります。

しかしながら、せっかくなので今回は
(私がいつも決まって持ち出す『戸川家譜』などの近世編纂物)は一切使用せず、
検討材料は同時代史料のみとしてみました。
といっても『公卿補任』は微妙ですが、いずれにせよ、今回はそういう趣向です。
別段いばれることではないのですが、
宇喜多氏が対象では、『浦上宇喜多両家記』とか、
そういう少し後代の文献史料を一切排除しての検討がなかなか難しいので、
いっぺんやってみたかったんです。

なお、
拙稿14頁18行目、引用史料の「江戸中」とありますのを
「(江戸中納言=秀家)」としておりますが、
お気づきの通り正しくは「(江戸中納言=秀忠)」であります。徳川秀忠ですね。

それから、
16頁4行目、拙稿「秀吉死後の宇喜多氏―いわゆる宇喜多騒動を中心に―」について
発表(公表)年を「『日本歴史』(七二七、二〇〇九年)」としていますが、
これは「二〇〇八年」が正しいです。ケアレスミスです。すみません。
以上、お詫びして訂正します。


最後に掲載誌の『年報赤松氏研究』第3号の目次を以下に掲げておきます。

<論文>
 大西 泰正 「宇喜多秀家と豊臣政権」
 苅米 一志 「明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 
                     ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―」
 光成 準治 「中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―」
 渡邊 大門 「戦国期依藤氏の存在形態」
<研究動向>
 片山 正彦 「近年の宇喜多氏研究をめぐって」
<書評>
 森脇 崇文 「濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社」
<文献目録>
 渡邊 大門 「赤松氏文献目録稿(2009年1月~12月分・補遺)」


なぜこの面々のなかに、私のような粗忽な素人が紛れ込んでいるのか、
恐懼にたえません。なんとも済みません。

まだ詳しく内容を確認しておりませんが、標題の拙稿の姉妹編たち(「宇喜多秀家論」ほか)
については、上記の片山氏の稿が論評を加えておられます。ご参照ください。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)など。

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