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【講座】「樹正院豪姫と宇喜多秀家」

講座、無事終了いたしました(「前田土佐守家資料館連続講座」)。
ご来場いただいた皆様、前田土佐守資料館の皆様ありがとうございました。

宇喜多の話に時間をさき過ぎまして、後半駆け足になってしまいました。
金沢で宇喜多(!)の話ができる機会はなかなかないですから。

ただ、肝心な後半が色々と言葉足らずになってしまったので、ポイント(私説)をいくつか。

・樹正院(豪姫)の金沢移住は慶長14~15年頃であること(大西推定)
 (慶長6年説や慶長11年以降説等があるが、従来定説なし。それ以前は高台院の庇護下にあった)

・樹正院(豪姫)の金沢での屋敷地のうち、ほぼ確実なのは高岡町であること
 (通説の西丁(金沢市)はかなり疑わしい)

・樹正院(豪姫)の娘(伏見宮貞清親王室、おなぐの方)の没年は元和2年(1616)。
 (なので、一部で唱えられている善福寺の「おふり」との同一人物説は成り立たない)

・前田家関係者から八丈島への仕送りは、秀家流罪当初から行われていたこと
 (沢橋平太夫の嘆願がきっかけという通説は根本的に再検討が必要ということ)

・八丈島の宇喜多孫九郎(秀隆、秀家次男)が一時期、精神に異常を来していたこと
 (および、孫九郎には早世したらしき兄(天正17年生。名前等不詳)がいたこと)

※以上の私見は拙稿「豪姫のことども」「樹正院の後半生」などでいずれも活字化済。

その他、言い忘れや話足りないことはたくさんありますが、
また機会があれば…というところです。ないかもしれません。

地元岡山から声がかかるのも待ってます。

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プロフィール

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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