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宇喜多秀家取立の伝承

ご存知の通り、
宇喜多秀家は、関ヶ原合戦に敗れ、薩摩へ潜伏ののち、
出頭して八丈島へ遠島になりました。

八丈島の秀家のもとに、
某年某日、前田利常からの使者がやってきます。

秀家に島を出る決心があれば、
前田家が将軍家(もちろん徳川家)にかけあって前田家の親藩として十万石
で取り立てますよと。

秀家は断固拒否します。亡き太閤殿下のご厚恩をこうむ…うんぬんかんぬん

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こんな言い伝えを、どこかで聞いたか、読んだかしたのですが、
まったく出所がわかりません。

いかにも作り話っぽいのですが、この伝承が何時頃どの辺りで発生したものか、
いまだつきとめられていません。

後世の勝手な想像だ、作り話だ、と片付けるのは簡単です。
しかし…と思うわけです。

まったくの嘘だったとしましょう。
では、何時誰が、どのような目的でこんな話をでっちあげたのか、
そういうところまで捕捉したい、というのは、私がよほどの物好きだからでしょうか。

ともあれ、喫緊の問題ではないですし、史学に益なし…かもしれませんが、
なにかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示お願いいたします。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論集加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房)、『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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