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【新刊】拙編著『前田利家・利長』等について

また随分更新が滞りました。今回もかいつまんで……。

このたび、

拙編著『前田利家・利長』(シリーズ・織豊大名の研究 第3巻)戎光祥出版、2016年8月

を上梓いたしました。
執筆者の皆様をはじめご協力いただいたすべての方に、厚く御礼申し上げます。
詳しくはコチラ(戎光祥出版さんのHP)をご覧いただければと存じます。
収録論考9編はどれも基礎的かつ堅実なものばかり……、先行研究の重厚さを痛感します。
また、前田利家・利長・利政(利長弟)の三者の発給文書リストが
この一冊の中に揃いましたので、いろいろと便利な本になっていようかと思います。

ここでは、かいつまんで筆者の担当「総論 織豊期前田氏権力の形成と展開」について若干の紹介。

この論考では大名権力前田氏(利家~利長代)についての研究史整理と概説を試みましたが、
前田氏権力にとって一つの画期となった慶長4年(1599)9月以降の利長の動向には、
とくに注意を払って(紙数を費やして)新知見を示したつもりです。

端的に言えば、上方の徳川家康を中心とする豊臣公儀に対して、
表面上は忠誠・異心なき姿勢を繰り返し示した一方で、
裏面=領国内においては軍備の増強に余念なく、領国の防衛(それもかなりの程度)を
急ピッチで固めていたことを、新出の同時代史料を軸に指摘しました。

また、利長発給文書の収集をもとにその花押の分類・整理も行ったわけですが、
結論だけかいつまめば、この慶長4年という年に、利長は一旦は改めた花押を、
また元に戻してしまうことが明らかになりました。
その背景には、恐らくは上記の徳川家康との関係と考慮すべきという点も
本文中に指摘した通りですが、ただし、通説のごとき慶長4年冬の「加賀征伐」「加賀の陣」
(家康の主導による前田利長の征伐)計画といったものには、
その存在自体に疑問を呈しました(否定しました)。
論拠等、詳しくは拙稿をご確認いただければと思います。

そのほか、宇喜多氏についても何点か、前田氏と比較したり絡めたりで言及しています。
八丈島における宇喜多孫九郎(秀隆。秀家嫡男)の異常や、
大坂の陣後、加賀国の芳春院(前田利家後室)に保護された明石掃部の娘※のことなど……。
拙稿「明石掃部の娘」(『宇喜多家史談会会報』第59号、2016年7月)もあわせてご参照ください。

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プロフィール

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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