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京・本能寺

本能寺

京・本能寺(京都市中京区)です。
信長および本能寺の変における戦没者の供養塔です。

周知の通り、現在の寺域は
天正十年(1582)六月に信長が襲撃された当時とは異なります。
この点はネット上にも沢山の情報がありますので割愛するとして、
信長供養塔の脇には、
文人画家の浦上玉堂・春琴親子が眠っています。

本能寺(浦上玉堂・春琴墓所)

鴨方藩(岡山藩の支藩)藩士であった親子が
士籍を捨てて岡山を出奔したあと、腰を落ち着けたのが京でした。

なお、この親子、
室町期に備前(および美作・播磨)の守護であった赤松氏の被官浦上氏
の流れを汲むといわれています。

16世紀半ば以降に備前浦上氏の中心人物となる浦上宗景は、
天正元年(1573)十二月、信長から「備播作之朱印」を与えられます。
つまり、
備前・播磨・美作三か国の支配を認められたのですが、
翌年三月には宇喜多直家がこれに反発したのでしょう、宗景との「義絶」に踏み切ります。

結局、天正三年(1573)九月、
宗景は直家に天神山城(岡山県和気郡和気町)を攻め落とされます。
宗景は播磨あたりで再起のためにいろいろ運動しますが、
最後は九州博多の黒田氏を頼ったようです。
この最後の辺り、詳細は不明ですが、
宗景の一類で備前に残ったものの子孫といわれるものの一家が
玉堂・春琴の家であったと、そういうことなのでしょうか。

というわけで本能寺、
御池通りを挟んで京都市役所の南側、寺町通りを入ってすぐのところです。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論集加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房)、『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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