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宇喜多秀家供養塔

宇喜多秀家供養塔

中山道の起点板橋宿、
東光寺(東京都板橋区)にある宇喜多秀家供養塔です。

東光寺の方にお話もおうかがいしました(ありがとうございます)が、
明治二年(1869)になって八丈島から東京へ移った秀家の子孫たちが建立したものです。
「秀家卿」と正面に刻んであるのがわかります。

八丈島の「浮田流人」二十家のうち東京への移住が認められたのは七家であったそうです。
彼らは本州に戻ってから、ややあって板橋の加賀藩前田家(秀家正室の実家ですね)下屋敷に住まいます。
その後、明治六年(1873)に至って明治天皇から同地(板橋)に宅地(19900坪)を賜り、
前田家の支援のもとにこの下賜地に移り住んだそうです。

そうした時期の子孫たちの秀家への思いが、この供養塔にこめられているのでしょう。
静かに手を合わせました。

その他、ご興味の向きは、立石定夫氏『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)を
ご参照いただければと思います。

なお余計な話ですが、
筆者は、関ヶ原合戦以降の宇喜多氏や秀家については全く不勉強・不案内で、
なんとも汗顔の至りというほかありません。こればっかりは地道に勉強していくしかないですね。

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論集加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房)、『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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