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人物研究に相対して

森銑三氏は偉大な先達です。

氏の著述を、ときおり取り出しては、うならされています。
氏の「人物研究に就いての私見」(『近世人物夜話』講談社学術文庫所収)は、
ことにどの部分をとっても、大いに同意がもよおされます。

また、人物研究(のようなこと)をしているうちに、なにか壁にぶちあたったとき、
その答えは、ほぼ、この文中のなかにあるといってもいいと思います。
私は少なくともそう思っています。

たとえば、こんな一節があります。

***************************************
人物研究家は、公平であるのと同時に、真正直でありたい。
先人の研究を、自分の研究の中に取入れる場合には、そのことを断つてかかるべきである。
先人の研究を先人の研究として、その意義を認めてかかるべきである。
自分の発見し、初めて発表する資料は、後の研究家が、改めて使用し得られるやう、
その所在なども、差支へのない限り、明示して置くのがよい。
わざと後人をじらすやうな書方をするのは宜しくない。
人物研究には、究極がない。
自分の研究の至らぬ点は、なほ後人の研究に俟つべきであり、それにつけても、
後の研究家の取りつき易いやう、計らつて置く用意があつて然るべきであり、
またあまりに大事を取り過ぎたら、いつになつても、その研究を発表する時は来ないことに
なつてしまふ。
その人物を掴むことが出来たと確信したら、研究を発表してもよい段階に達したとして
よいのではあるまいか。
中間報告なら中間報告の形で、一応発表した上で、更に研究を継続してもよいわけであり、
その発表が、更に新資料を入手する手がかりとなることにもならう。
***************************************

「人物研究には、究極がない」の言は、
ことに氏の研究に対する謙虚な姿勢と、真剣さが示されているように思います。

どこまで研究し尽くしても、終わりはないのであります。

氏は、小出昌洋氏に
「読んだらいつか書くようにしなさい、すると読むということが一層充実しますよ」
とよくいわれていたそうです(『近世人物夜話』解説より)。

私自身も、よくよく肝に銘ずるところです。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論集加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(桂書房)、『宇喜多秀家』(戎光祥出版。シリーズ実像に迫る13)、『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)、『前田利家・利長』(戎光祥出版)など。

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