【講座】「樹正院豪姫と宇喜多秀家」

講座、無事終了いたしました(「前田土佐守家資料館連続講座」)。
ご来場いただいた皆様、前田土佐守資料館の皆様ありがとうございました。

宇喜多の話に時間をさき過ぎまして、後半駆け足になってしまいました。
金沢で宇喜多(!)の話ができる機会はなかなかないですから。

ただ、肝心な後半が色々と言葉足らずになってしまったので、ポイント(私説)をいくつか。

・樹正院(豪姫)の金沢移住は慶長14~15年頃であること(大西推定)
 (慶長6年説や慶長11年以降説等があるが、従来定説なし。それ以前は高台院の庇護下にあった)

・樹正院(豪姫)の金沢での屋敷地のうち、ほぼ確実なのは高岡町であること
 (通説の西丁(金沢市)はかなり疑わしい)

・樹正院(豪姫)の娘(伏見宮貞清親王室、おなぐの方)の没年は元和2年(1616)。
 (なので、一部で唱えられている善福寺の「おふり」との同一人物説は成り立たない)

・前田家関係者から八丈島への仕送りは、秀家流罪当初から行われていたこと
 (沢橋平太夫の嘆願がきっかけという通説は根本的に再検討が必要ということ)

・八丈島の宇喜多孫九郎(秀隆、秀家次男)が一時期、精神に異常を来していたこと
 (および、孫九郎には早世したらしき兄(天正17年生。名前等不詳)がいたこと)

※以上の私見は拙稿「豪姫のことども」「樹正院の後半生」などでいずれも活字化済。

その他、言い忘れや話足りないことはたくさんありますが、
また機会があれば…というところです。ないかもしれません。

地元岡山から声がかかるのも待ってます。

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【受贈御礼】講演(樹正院豪姫と宇喜多秀家)のお知らせなど

1月もそろそろ折り返しです。

先日、森脇崇文さんから
特別展 中国国分/四国国分』(徳島市立徳島城博物館、2015年10月)をご恵贈いただきました。徳島城博物館での展示図録です。ありがとうございました。

展示の内容紹介・解説はもちろんですが、
森脇さんによる蜂須賀正勝受発給文書目録ほかの論考も労作です。
遠方のため展示自体には足を運んで実見ができませんでしたが、
図録を拝見して、見ておけばよかったと後悔しきりです。

また、森脇さんからは拙著『論文集 宇喜多秀家の周辺』(同刊行会、2015年12月)へのご意見・ご批判も頂戴いたしました。また機会を得て、秀家や樹正院豪姫・宇喜多秀隆(秀家嫡男)等々への理解を深めていければと思います。

…と、そうした自分にとっても良い機会になるであろう講演の御案内です。

「前田土佐守家資料館連続講座」の第1回(2月7日(日))に出講します。
演題は「樹正院豪姫と宇喜多秀家」です。申し込等くわしくはコチラ
※なお、前田土佐守家(加賀藩前田家の家老)の家祖利政は、樹正院豪姫の同母弟です。

前田家との関係を踏まえて、宇喜多秀家・豪姫について、
上記の拙著で紹介した新出史料等をもとにお話ししたいと思います。
いろいろ新しい事実も出てきているので、私自身大変楽しみにしているところです。

申し込みは1月26日から、ということです。

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【受贈御礼】頂いたもの・今年書いたもの

庭

今年もあと一週間を切りました。

この数日で頂いたものを紹介…。
いずれも実証的で堅実な研究成果です。ありがとうございました。では頂いた順に。

丸島和洋氏から、
『武田氏研究』50(2014年)
玉稿「戦国大名武田氏の佐久郡支配―内山城代小山田虎満・昌成を中心に―」(『信濃』66-12、2014年)
 〃「戦国大名武田氏の西上野支配と箕輪城代―内藤昌月宛「在城定書」の検討を中心に―」(『地方史研究』369、2014年)
 〃「武田氏から見た今川氏の外交」(『静岡県地域史研究』5、2015年)
 〃「武田家臣「三郎殿」考」(『年報三田中世史研究』21、2014年)
 〃「北条・徳川間外交の意思伝達構造」(『国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇』11、2015年)


萩原大輔氏から、
玉稿「前田利長隠居政治の構造と展開」(『富山史壇』178、2015年)

丸島さんの精力的な活動には頭が下がります。東国の戦国史についてはまったくもって疎いのですが、豊臣政権期につながる取次論や、史料批判の方法など、自分の興味に引きつけて拝読しました。
また、註釈を眺めるだけでも、いかに東国を舞台にした議論が盛んであるかがよくわかります。
前回の記事に書いた通り、つい先日金沢の研究会で、ざっくりとした研究史整理をしたのですが、西国……さらにそのなかの岡山県地域との違いは(それが良い悪いではなく)歴然としているように思います。
加えて、戦国遺文の刊行状況や『武田氏研究』等での増補(補遺)に鑑みれば、研究環境にも大きな開きがあることは間違いありません。

萩原さんのお仕事は、先週北陸地域の新聞には記事が出たように、
恐らくもっとも年代が古いであろう前田利常(利光)発給文書(の写し)の提示など、
有益な史料紹介も含めた丹念なものです。
仕事柄この時期(慶長年間)の前田家権力については、私もいろいろ考えなくてはいけないので、先行研究での到達点や、利長・利常の動向といった基礎・基本的な情報を色々と知ることができました。
なお、萩原さんの結論は、慶長10年以後16年までの前田家権力は、家督は利常にあるが、実権は隠居の利長にあった、というもので、現時点では私も妥当な結論のように感じました。

※12/29追記
馬部隆弘さんから玉稿「大名領国における公的城郭の形成と展開―「城督」を手がかりに―」(斎藤慎一編『城館と中世史料―機能論の探求―』高志書院、2015年)をいただきました。
上記のお仕事と同様、実証の手順、研究史の踏まえ方や、史料への目配りなどにつき色々と勉強になります。
なお、「城督」は戦国期大内・大友・毛利領国に限定される用語だそうです。

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と、こんな具合に、来年も勉強を続けていきたいと思います。
2月はじめには金沢で講演の予定(テーマはいつもの通りです)ですので、とりあえずはその準備です。

なお、私が今年一年で書いたものは以下の通りです。相変わらずのテーマ設定です。

拙著『宇喜多秀家と明石掃部』岩田書院、2015年5月 
 ……タイトル通りの内容。宇喜多氏の石高に関する通説の見直し(57万石は誤り)など
大石泰史編『全国国衆ガイド 戦国の"地元の殿様"たち』星海社新書、2015年8月
 ※「備前国」(明石氏・松田氏・浦上氏・宇喜多氏・穝所氏・伊賀氏)、
  「備中国」(三村氏・庄氏・石川氏・清水氏)の項を執筆
 
……宇喜多氏や浦上氏について、なるだけ最新の研究を盛り込んだうえで
   一般向けにわかりやすく…という、なかなか難しいお仕事でした。
   たとえば、宇喜多氏について、島村貫阿弥(観阿弥)や中山信正には敢えて触れておりません(※補足)
   なので、誰が言い出したのかわからない直家の綽名(梟雄?)等も当然出てきません。
拙稿「関ヶ原戦後の宇喜多秀家」『宇喜多家史談会会報』第55号、2015年7月
 ……拙著『宇喜多秀家と明石掃部』所収「宇喜多秀家の処分をめぐって」などを平易に書き直したもの。
拙稿「金沢の樹正院屋敷地について」『宇喜多家史談会会報』第56号、2015年10月
 ……金沢での樹正院豪姫の屋敷地の通説は「西丁(西町)」(金沢市)ですが、はっきりこれを否定します。
拙著『論文集 宇喜多秀家の周辺』同刊行会、2015年12月
 ……樹正院豪姫や宇喜多秀隆(秀家嫡男)について、加賀藩関係の新出史料から考えます

※補足
 直家による島村貫阿弥への「仇討」や、「岳父」中山信正の殺害伝承は、
 それ自体、創作である可能性が濃厚であるか、確定できる事実が僅少に過ぎるため。
 限られた紙数(分量)の中で(近年の研究成果等を削ってまで)敢えてこうした「伝説」の類を
 取り上げる必要は個人的には見出せなかったため。

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今年も終わりです

嵯峨釈迦堂

今年も残すところ10日ばかりとなりました。
今年はまだ一度も雪かきしてません。明日も雨のようで、雪が降りません。

昨日は金沢で研究会がありました。
中近世移行期の「国家」・「公儀」・「家中」・「国衆」……
種々さまざまなご意見(ご教示)あり、
自説を整理・再考するよい機会をいただきました。

来年も引き続き、地道に思索を深めていければと思います。

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二冊の新刊

「石谷家文書 将軍側近のみた戦国乱世」「近畿の名城を歩く」

5月も下旬に入りました。目下、写真の2冊の新刊を拝読中です。

浅利尚民・内池英樹編『石谷家文書 将軍側近のみた戦国乱世』
仁木宏・福島克彦編『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』

(いずれも吉川弘文館刊)

議論のもとになっている史料や城跡についてはもちろん、
いずれも一冊のなかに、複数の研究者の方々のさまざまな視覚、議論、考え方等々
がつまっており、大変有益です。

***

以下の新刊(拙著)もよろしくお願いいたします。

大西泰正著『宇喜多秀家と明石掃部』
岩田書院、2015年5月発刊・A5判・140頁・並製本・カバー装

<目次>

 Ⅰ 宇喜多秀家とその周辺
  ・豊臣期宇喜多氏権力論
  ・文禄期「唐入り」における宇喜多秀家の立場について
    ―豊臣秀勝との関係から―
  ・宇喜多秀家の処分をめぐって
  ・小瀬中務と小瀬甫庵
  ・宇喜多氏研究の困難とその可能性
  ・宇喜多氏の石高をめぐって

 Ⅱ 明石掃部の研究
  ・第一章 明石掃部の基礎的考察
  ・第二章 関ヶ原合戦以後の明石掃部
  ・後記 明石掃部の人物


※なお、Ⅱの各論および「宇喜多氏研究の困難とその可能性」・「宇喜多氏の石高をめぐって」は、 拙著『明石掃部の研究』(2012年)収録の各論を補訂したものです。

新刊「宇喜多秀家と明石掃部」

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プロフィール

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戦国・織豊期を中心に、あれこれ考えています。
単著『論文集宇喜多秀家の周辺』(同刊行会)・『宇喜多秀家と明石掃部』・『「大老」宇喜多秀家とその家臣団』・『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』(以上、岩田書院)・『明石掃部の研究』(同刊行会)、編著『備前宇喜多氏』(「論集戦国大名と国衆⑪」岩田書院)など。

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